拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

名付けて "拈華荘”(ねんげ・そう)

 西瑞にくる前までは東京に住んでいた。

 ニコルと目黒の安アパートに5年ほど住んだが,それぞれアパートには名前が付いていた。

 最初が丸十荘,今思うとよくあんな日陰のアパートとに住んでいたと思うほど陽あたりの悪い一階の六畳ひと間に一年ぐらい住んだ。そこに今ジュネーブの私立銀行の共同経営者になっているニコルの従兄弟が出張で来日し、フルーツバスケットを持って訪ねて来てくれたが、内心びっくりしたであろうと思うが,さすが,そんな素振りを少しも見せないで何もない我々の究極の侘び,寂び生活を束の間味わってくれた愉快な思い出がある。

 次が彰久荘で文化住宅というやつ、建物の外側に階段がある二階の部屋は4畳と6畳の二間のアパートだった。ここはニコルのお気に入りで、西小山,武蔵小山のアーケード街が近く,銭湯もすぐそばで我々は毎晩通ったが,ニコルなどは銭湯友だちもできて毎晩楽しみににしていた。彰久荘の前にバーデンという喫茶店があってそこのマスターと奥さんと友達になって彼女の第一拠点となった。などなと我々にとって楽しい思い出が沢山ある街。

 考えてみると、ここ西瑞のアパートには名前が付いていない。ただ住所の番号のみ。このアパートに住んで17年目を迎え,タイミング的にも新たな年、2010年を迎えるにもあたってこのアパートに命名することにした。このブログを書かなければそんな気も起きなかっただろうであるから、このブログの名前がら”拈華荘”にした。

 ローザンヌやジュネーブは住宅不足でアパートを見つけるのは至難の技で、ボクらもここを見つけた時,応募者が多く無理かなあ・・と思ったが,思わぬところでコネが効いた。家主がニコルのお父さんの同級生であったのだ。不公平と言えばそうであるが,めったに無いコネクション有り難くて使わせていただいた。ゴメンなすって。

 このアパートに初めて見学に来たとき、5階のテラスからみえるレマン湖の美しさに目を奪われた。