拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

アデルの歌声に・・・

 ニコルは一泊バリ旅行にでかけ、久々に一人で夕食の仕度をしながらラジオを聞いているとアデルというシンガーのインタビューと彼女の歌が聞こえてきた。彼女の歌はどこかで聞いたことがあるような、ないような?とにかく説得力のある歌声に聞き惚れてしまった。http://www.adele.tv/biography/

 もっとも、彼女の歌の歌詞の半分も意味がわからない・・・と考えたところで、ふと写真には<言葉の壁>がないなぁ〜と思い当たる。まぁあたり前のことであるが、しかしこれは写真のエライ特徴であると改めて感心しながら、ふだん自分の写真を発表するにあたり、説明文「英語やフランス語」に頭を悩ましている自分がバカに思えてきた。

 一見するだけで、世界中の誰もが共感出来る・・・・それことが写真の特性

 であるのに、なんで解説が必要なのか、解説が必要な写真は“写真じゃやない”、とボクは思う。

 ・・・そんな事を気づかせてくれたアデルの歌声であった。

 解説が必要なのは<コンテンポラリー>という分野の写真かな。独りよがりで一見してワケがわからない写真。
これに一見優れた解説が付くと高く評価されるもの。・・・と云いつつ、でも・・・

 写真も詩や俳句や絵画や音楽や書、その他多くの芸術と同じように、探究する経験の深浅で味わいが違ってくるのも事実。ボクの作品でも<Good-bye New York>なんかはある程度解説が必要かも・・・と思う作品がある。

 この作品の自己解説の中に「通過儀礼」という言葉を使っているが、そういったニュアンスを写真だけで表すことが出来るのだろうか? 言われてみて初めて、なるほど・・・と写真を観る見方が深まる・・こともある。

 そうなるとヤッパ、解説も必要か・・・となってきた。(要は外国語に訳するのが面倒なだけなのだ。嗚呼!!)