拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

ゲゲゲの昭和人

じつは最近ずーっと連続ドラマ『ゲゲゲの女房』にハマって、全156話、今日鑑賞完了。

なんだか、物凄い懐かしさにどっぷりと浸ってしまい感無量。

今までほとんど気にもとめなかった『昭和』であるが、ボクは昭和27年生まれだから、生粋の昭和っ子なんだぁ・・・とつくづく思ったわけだ。

1991年=平成3年にこちらスイスに渡ってきてから、西暦一辺倒で昭和はもちろん、平成も今年は何年なんだかわからないぐらい和暦の年号にはご無沙汰していた。

平成という年号も来年2019年の4月30日までだそうで、5月1日からは新年号となるようだ。

そうなると『昭和』という年号も、ボク等がイメージする『明治』みたいな感覚で受け止めるようになるのではないだろうか。違うのはITの進歩のおかげで視覚資料がたくさんあって何時でも懐かしさに浸ることができることだろうか。

来年5月を迎える前にボク等『昭和人』は僕らの『昭和の文化』の総括をする必要があるのではないだろうか。先日Youtubeで外国人が日本にすっかり定着して生活している様子を取材した番組を見ているとその外国人が『いまだ昭和の雰囲気が残っているここが好きです!』と言っているのを聞いて不思議な感じを受けたが、今の日本にはまだそういった雰囲気のところが案外残っているようであった。

再来年に東京オリンピックがあるが、1964年の東京オリンピックはある意味『昭和』に大きくはずみをつけた象徴的出来事であったが、2020年の新しい元号で迎える東京オリンピック…というのはなんだか『昭和』の位置づけをする決定的な出来事のようにも思う。

昭和といっても、ボクが知っているのは『戦後の昭和』で、高度経済成長時代とかなんとかであったようだが、それを生きてきた本人にはそれが、どういうことであるかなんかは、さっぱりわからずに生きてきたのであるが、今思うとやはり、古き良き時代みたいな感慨に陥る。

特にボクの場合、1991年湾岸戦争の年にスイスに渡った事もあって、その後スイスにて『バブル崩壊』という言葉を耳にはしていたが、今のようにネットもない時代であったから正直なんのことであるかボクは知らずにいた。それは『1973年から続いた安定成長期が終わり、失われた20年と呼ばれる低成長期に突入』を意味していたことはだいぶ後になってから知ったことで、今でもYoutubeなどでNHKクローズアップ現代などで日本の実態を取材した番組などを見ては、自分の知らない日本を見るのであった。

 

平成になって『IT技術』の目覚ましい発展の影に、様々な『負』の側面の拡大が日本に起こっていたのだ。

今の若者達はこの世の中をどうみるのだろうか?

ボク等が若かった時代とは明らかに違う、だからといって比較しても仕方がないが。

年をいっても、ボク等だって今の世を生きているんだもな。

水木しげるの漫画は残念ながらその当時は読まなかった。彼の絵に馴染めなかった。

しかし、今は読んでみたいと思う。彼が我々に気づかせたかったことは、時代の進展とは真逆の方をじっくり観察して自然が持つ生命力の尊重であり、それはまた人間の本質への帰郷をうながすものであったと思う。

 

今朝故郷の北見の姉にスカイプした。昨日札幌方面に震度7の地震があって

大きな被害がでたと聞いたからだ。姉の話によると震源地からかなり離れている北見でもいまだに停電して24時間以上電気がないので冷蔵庫の氷が溶け出してきて困っているとのことであった。何という災害年であろうか2018年は。

 

 

 

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  『昭和は遠くなりにけり…』ってのはボクにはまだ10年早いかな?

妖怪・魑魅魍魎が取り巻く庭を背景にゲゲゲの昭和人のボク