拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

スピードスケート

先日のローザンヌ・ユース冬季オリンピックでのスピードスケート・ショートトラック500m競技を見て、ボク自身のスポーッ歴の一幕を思い出した。

小学生の時、初めてスケートした日にスイスイ滑れたボクは、町内のスケート大会で一等賞を総なめし、中学校では即スピードスケート部に入って、初めて仲間たちとスケートリンクのコーナーを滑ったとき、自分の体も、前を滑っている仲間たちの体も45度内側に傾いていることに感動したことを未だに鮮明に覚えている。

北海道のオホーツク海方面手前内陸の片田舎、北見市の南中学校のスケートリンクは

体育の先生方が太い水道ホースで雪で枠取りしたスケートリンクに水をまき、マイナス20度の冬の気温で作ったリンクだった。どうもスケート部は僕らの学年が最初だったようで先輩がいなく、先生もバスケット専門でスケートは出来ない人であった。

中学1年生というと13歳であるが、地区大会で当時は汽車にのって網走という町へ遠征にいき、強い風が吹き、リンクは吹雪いて前方もよく見えないような天候のなか、8人ぐらいがスタートラインにならんで一斉にスタートした500mを薄っすらと覚えている。中学一年生と三年生とでは大人と子供ぐらいに体格体力の差があって、僕らは自分がひよ子になったような気分であった。

中学時代、夏は柔道部、冬はスケート部でスポーツ三昧であったけれど、まともな指導者を得られないながらも、我が柔道部は地区優勝、スケートも三年生のとき、1500mで

誰も予想しないボクが3位になって、それを見ていたクラスの女の子が、交際を申し込んできたのには驚き、奥手なボクは何を話していいのかわからないという理由で断った思い出がなつかしい。

高校はブラスバンド部に入ってしまったので、43歳ぐらいにバトミントンに目覚めるまでは太極拳とか気功体操をのぞきスポーツからは離脱していた。

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