拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

懺悔

 "懺悔"などという言葉はボクの辞書には無いとずーっと思っていたが、それは事実ではない事を最近自分の脳を検証してわかった。

ボクの脳にも過去の様々な出来事がインプットされているようだが、何故か無視されてきた。というかそれに注目する事に興味さえ持たずにこれまで生きてきたと言える。しかし、生きている限りその時その時の人生の問題に対して何だかの決断を下してきたのは、サイコロを振って決めてきたわけではないのだから、やはり自分のこれまでの背景にある経験群を無意識にしろ活用してきたに違いない。
 
 最近は自分の中で自分史にすこしずつ興味を持ち始めてきた。先が見えてきた為か? 自分史は自分思。
 
 その時に”懺悔”がまず来た。自分にもっとも遠いものと思っていた言葉。

 ボクはボクの懺悔の時を迎えるまで、無頓着に残酷だった。幼い頃、僕らの空にはトンボで埋まるか、というくらいトンボが沢山いた
特に家の裏の隣の人の畑はトンボやら蝶々が、近くの小川にはメダカやら蛙なんかが沢山した。それらをボクは随分殺してしまった。
猫が小鳥を遊び殺してしまうようなもの。悪気なんて全然なかった。周りの人達は誰もそれを咎めなかった。どうやって殺したかなんて恥ずかしくていえやしない。しかし、小学校何年生だったか憶えていないが、ボクは直ぐそばにいる雀をバチンコで打ってしまった。
 パチンコを打つ瞬間ボクは確かにためらった事を、今でも憶えているが、ボクは打った。その雀がボクの手の中で震えながら死んでしまった。もの凄く後悔したボクは以来むやみに生き物を殺さなくなった。