拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

必撮無眼流 〜 焦点深度

昨日、10日間のSionでの写真展が終わった。

写真展の意義というのは、写真展をやった時に深まるものだ…と改めて思った。

結局断ったラジオインタビューの件にしても、写真展現場で受ける何気ない質問にも、その中にこれまで、思いもしなかった事を考える切っ掛けになったように思う。

それは写真と一緒で、まず直感に従って撮ることに専念する。そのあとなぜ撮ったかを考える必要があれば考える…で、ボクは特にこれといって考えたことがなかった。

何故なら、一枚の写真の中に全てがあるから…と確信しているから。

だから、質問がでると改めてゼロから考えては自分で感心するが、そんなに深いモノがあったのだろうか???と。

深いモノがなければ、撮らなかったのも事実ということを思えば、在るのだろう。

しかし、それを言葉にしたとき、各人の受け止め方にアクセントがついてしまうのが、

嫌なんだとも思う。

例えば、なぜスイス闘牛を撮ったのか?…という質問があったとき、なぜかと言われても正直困る質問なのだ。なにか言ったとしても脇がこそばくなるだけだ。何故なら真剣に考えたときその行動を導いた要素は無数にあるのだから。『そこに山があるからだ』…みたいな答えになってしまって相手を当惑させるだけなら、一層のこと

黙っていたほうが正解のような気がする…。そこまで考えたときインタビューに出なくてよかったなぁ〜と思う。

しかし、日常生活の中に常にこんんな問題があって、いちいち説明するのが面倒だから

適当に相手が納得する答えを口にすることが案外多い、ボクの場合。

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友達が子連れで来てくれた図

上の子は反抗期なのか、写真を拒否している図でもある。

遠路はるばるシオンまで写真展に来ていただいた皆様、ありがとうございました。