拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

カーリングとラックレット

先週の木曜、『カーリング講習の後ラックレットを食べる』…というプログラムに相方がだいぶ以前に参加表明していてでかけてきた。

場所はいつも週末に出かけるルットリー村の湖沿いの小さな人工スケートリンクで、いつも子連れの家族で賑わっているところなので、このプログラムも子供や女性なども沢山参加する家族的な雰囲気であろう…と相方はおもっていたようだ。

しかし、夕方の集合時間に行ってみると女性は相方ニコル一人であとは平均年齢が50歳ぐらいのオッサンばかりが、10人ほど集まっていて思っていたイメージとは若干違っていた。

アパートを出かけるときに、隣で毛糸を販売している店のマダムと相方が出会って、カーリングに出かける旨を伝えたとき、意外な事にそのマダムの家族がなんとスイスに最初にカーリングを紹介した事、さらにマダム自身が地元で何度も優勝しているチームの一員である…などなどビックリな話が出たことをルットリー村に出かけるバスの中でボクに話してくれたのであったが、その時にマダムからの注意として氷の上ではくれぐれも滑って怪我をしないように、と厳重に注意をされたらしい。

それで、男ばかりの参加者、指導者も3人いたが皆男性で、紅一点のニコルに『先日も氷に滑って2人の女性が救急車で病院行きになった・・・』と前置きの注意としての話にニコルはすっかり怯えてしまって、最初の練習を一回しただけ(下の写真)で講習を受けるのをやめてしまった。

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相方ニコルが持っている木製の箱のような物は、本来は右手にカーリングの石、左手に氷を掃く棒を持っ所を、その前段階として安定したフォームを学ぶための道具。

一見したところ、ニコルのフォームは悪くないが、右足でキックして前に踏み出したのに、滑ることを怖がって3m程も進んでない…図

まぁ、他のオッサンたちもやはり股関節が硬いようで腰を落として低い姿勢のまま前方に滑り出す動作は不安定だった。

一人のオッサンはニコル同様、危険を感じ取ったのかギブアップした。

ボクはもともと道産子であり、まして中学時代はスピードスケート選手で鳴らしていたから(しかし、もうかなり昔の話であるが…)氷上のバランスでは自信があったし、冬季オリンピックで銅メダルを獲得した女子カーリング・クラブ我が故郷北見のロコ・ソーレの名を汚さないためにも、それなりに頑張ったつもりである…の図 ⬇︎

スケートリンクが小さいので正式のカーリングの半分のスペースながら結構楽しめた。

夜は寒くなると思って厚着しているので、なんかゴロンとした図体であるが、このあと2人ずつ組んで4個の石で2ゲームしたが、最後のゲームでボクは最終の一石を相手の石を弾いて外に出し自分の石をセンターに送り込んで見事に逆転勝ちと相成った。

その後、みんなでスイス名物ラックレットを食べ白ワインを飲んで互いの健闘を祝ったのであった。ああ〜なんとスイス的な一夜!(足は冷たく鳴っていたが。)

 

Ge-datsu?!

不立文字(文字・言葉で表せない)を看板に掲げる『禅』の周辺には、というか禅以前の仏教時代も含めると釈迦の『悟り』にまつわる言葉の何と多いことか。

般若、菩提、真如、正覚、成仏、涅槃、彼岸、大悟、覚悟、ニルヴァーナ、解脱、無心、空の境地、修証、成道、エトセトラ・エトセトラ・・・

言葉で言い表せないぶんだけ、各個人の受け止め方によって表現する言葉が違ってくる故に実に様々な言葉が出てくるのだが、これが『禅宗』になるともっと大変なことになって、そこらの『柱』やら持っている『扇子』やら『杖』やら『お茶』やら日常生活に最も身近にある物や事でもって示すのであるから…。

その昔(中国の唐や宋の時代)は禅僧は一喝や一棒を駆使したそうだが、ボク的には痛快でグズグズしていなくてサッパリしていて好きであるが、今はここまで親切に指導をしてくれる人も、してもらいたい人もめったにいないようだ。

実は来週、茶屋で柄にもなく『禅について』の話をすることになっていて、ボクの頭の中ではこういった禅語が頭に渦巻いている状況なのだ。

実際に修行したのは30年ほど前、それから禅卵をずーっと抱いて温めていて、この茶屋での最初の話に合わせて殻を破る…というような塩梅だ。

いつの時代にも世の行く末を案じる人々がいるものだが、方やAIにむかって目覚ましい展開が繰り広げられる中、方や深刻な貧富の格差が広がる社会の現状で『人としてのあり方』を今一度真剣にそういった事に真っ向から対面し、答えを残してくれた偉大な先人の言葉や行動に目を向けるとき、それらの言葉が真新しい響きをもって鳴り響くのを聞くことができる。

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オープン・アートスクール雑感

先日、長年いっぺんは見てみたいとおもっていたローザンヌの州立アートスクールの一般公開があって見学してきた。

思った以上に立派・・・の一言。

まぁ、40年前にボクが通った芸術学院はその当時でも『寺子屋』名称でも通用するミニミニな規模の学校であったが、ここの学校は規模といい、施設の充実といい、授業内容クオリティなども良さげで、爺になった自分を忘れてて、入学したい…と一瞬考えた。

が、それはすぐ???とクエッションマークに。

それはたまたま、鈴木大拙さんの本『禅と日本文化』を30年ぶりに再読しているからというわけだけではなく、芸術って何がどう発展しようが最終的には『心』の問題に行き着くわけでそこが未熟であれば、出来上がる作品は幼稚なものにならざるを得ないと思う。

 

チョツト妄想したのは、同じ年齢の芸術青年を5年と限って、方や州立アートスクール、方や雲水として禅の修行のために禅寺へ・・・とそれぞれ行った場合、その後の芸術活動にどのような違いがで出来るだろうか…というようなこと。

昨夜、自分の書棚で立ち読みした中野孝次著『生きて今あるということ』の中で紹介されていた良寛の漢詩を見てもその答えは歴然のような気もする。

   生涯身を立つるに懶(ものう)く

   騰騰天真に任す

   曩中(のうちゅう)三升の米

   炉辺一束の薪

   誰か問わん迷悟の跡

   何ぞ知らん名利の塵

   夜雨草庵の裡(うち)

   双脚等閑に伸ばす     良寛

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感じないハーフ

先日、ある会合があり、日本人女性6人とボクとでいわゆる井戸端会議をした。

彼女達は皆、スイス人かフランス人の男性と結婚しスイス在住20年以上で子供たちは15歳〜26歳前後の母親であった。

これまでこういった状況に出会わなかったので、これ幸いと以前から持っていた疑問を彼女たちに問うことができた。

ボクは昔から血が混ざることで、愚かな人種差別が薄まるのでは…と考え、なおかつ二つの全く違う文化に育った親を持つ子供たちは第三の文化を生み出す能力と宿命を持っのでは…などということを想像したりしていたのだ。

国際結婚で母親が日本人の場合、子供たちは現地語と共に母親から日本語を自然と学ぶのではないかと思っていたのだが、現実はそう簡単なことではないようであった。

専業主婦で子供が一人であれば?あるいは日本語の会話だけでなく読み書きを伝授することも可能であるかもしれないが、子供が仮に二人以上の場合、夫婦共働きの場合…その確率はかなり減るということがわかった。

実際彼女たちの子供で日本語を不自由なく話せて、読み書きも一人前…というのは一人もいないようであった。そのかわり現地の大学で優秀な成績を残している子供たちは結構いるようであった。

ボク自身の友人の子供たちも医者や学者、金融関係の道に進んでいるのを知っている。

 

ボクは最近、我々東洋人の精神文化に重要な影響を与えているのは『漢字』ではないかと考えている。だいたいボクは視覚人間で20歳から写真に打ち込んだ自称『一撮』であるし、禅を修行した者として禅僧の『書』は意味を頭で読み取る文字というより意味を肌で感じ取るシンボル(記号)ともいえる。

幼児期から言葉を習得する過程で漢字とアルファベットでは、そこに明らかに相違がうまれ、それはあたかも右脳と左脳の働きの違いのようだ。

ネットでその働きをみると

左脳〜言語や計算力、論理的思考を司る

右脳〜イメージや記憶力、想像力やひらめきを司る

右脳が活発なのは、言葉が未発達な3歳前後で成長するにつれて言語を司る左脳が活発に働き左脳優位になっていく。大人になると右脳をいかに使うかが脳を活発化させる一つのポイント…   だとさ。

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日本の先輩から戴いた書、スイスの友人のプレゼントしたら、窓に貼ってあった図

   『水急げども月は流れず』・・・

 

 

侘び寂び考

日本人、並びに日本好き外国人は皆知っている…と思い込んでいた『侘び寂び』という言葉と意味。

それが案外知らない、知られてない…っていう事がわかり、そういう自分も知っているつもりでいたけど、よ〜く考えるとわかっていなかったかも・・・と反省して先日パリに行った時ジュンク堂で赤瀬川原平著、千利休を買った。

それでビックリしたのが、彼が1989年に勅使河原宏監督、利休を三國連太郎、秀吉が山崎努、その他めちゃめちゃ豪華キャストのこの映画の脚本を、頼まれるまで日本史の無知レベルがボクとほぼ同レベル…と自分で本の中で告白している前衛芸術家赤瀬川原平さんのことであった。

まぁ、映画公開が1989年だったから禅修行中だったボクは当然見たかな〜っと思ったら、見てなくてスイスに在住してから見た映画は、利休は利休でも三船敏郎主演の原作井上靖、監督熊井啓の『本覚坊遺文』の方を先に見てひどく魅せられ、それがキッカケとなってもう一つの千利休映画、勅使河原宏監督のを見たのを思い出した。今、ネットで調べたところによるとこの2つの利休映画、同年の1989年公開って凄いね。

何れにせよ、この大変重いテーマの映画脚本家に赤瀬川原平氏を選んだというのは、勅使河原宏監督の審美眼というか、よくぞこの人を選んだものだ…と、その英断に敬服。

で、赤瀬川原平さんの本『千利休・無言の前衛』を読むと、前衛芸術家としてのユニークな利休解釈がなされ、禅ポインビュー…っていうのはあまりなくて、それはそれで面白かったが、もし彼が禅に関心があった場合、もっともっと面白い映画になっていたことであろう・・・と妄想したりした。

利休の師匠筋になる村田珠光が『わび茶』を始め、後にそれを完成させたのが利休であったという。そのわび茶から『茶道』完成の過程で『侘び寂び』の思想のようなものがそれこそ『以心伝心』の形で良い意味でも、悪い意味でも明確な定義なしに現代まで伝えられて来たところに、わかったような、わからないような感がこの『侘び寂び』にはあったのだろうか。

実際に茶道なんかに打ち込んでいる人なんかには明白なことであろう『侘び寂び』も一般市民的にはよくわからない思想なのだろう。

しかし禅道場で修行し、茶礼(されい)なんかの時を経験した者は、茶道について原体験的理解があり、その延長線上の『侘び寂び』も『無我』を行ずるとき『我』が解凍の際に発する香りのようなものではないかと思うのだ。

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明らかに『侘び寂び』の対極を意識した作品は世界の富豪が集まるスイス村クスタードへ行ったときギャラリーで見かけた作品

突貫工事のローザンヌ

去年の夏からトンネル工事は始まっていたが、目下我がアパートの真下を掘削中のようで日曜以外の日は朝6時から22時まで交代で市電(ローザンヌ市内と郊外を結ぶ』の将来を見込んで2020年末完成予定のトンネル工事を行っている。

実は同様な工事を15年ぐらい前(いつだっか不明)に僕らのアパート前にトンネルを掘って、ちょうど僕らのアパートを過ぎたあたりから、線路が地上に上がってくるようになっていた。が、その後の地上運行中に頻繁に交通事故が起こるため、今回改めてトンネルを掘り直す事になったのだ。・・・しかし、これって相当ひどい計画だったということなわけだと思うが、もし、ボクだったらその再工事決定にカンカンになって怒っていただろうと思う。まぁ、詳細を知らないので、なんとも言えないのだが。

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去年の夏まで子供や大人が一息つける公園だったのが、直径12mぐらいの穴、深さ40mまで掘り下げてそこをベースにして新トンネル自体の深さが10〜25mになるらしい。

最初そこにサン・ロゴン教会の19世紀の墓が発掘され、57の棺に入った骨だけの遺体が見つかり、急遽8人の考古学者によって2週間調査が行われた。

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その他、ローザンヌではもっと大掛かりな工事があって

その一つは新ミュージアム『Plateforme10』というこれまで市内に散らばっていた3つの美術館が一箇所に集合され、その中にエリゼ写真博物館も含まれ予想図では広々とした写真美術館が現在のローザンヌ駅の直ぐ側に2022年に完成する予定。

もう一つは、それよりもっと大規模なジュネーブ〜ローザンヌ間の鉄道拡張工事に伴い駅の大改築が今行われていて、それが完成するのがやはり2022年であったか?

とにかく2022〜23年にはローザンヌの駅回りが今とはガラッと様変わりをすることになる。

タイトルを『突貫工事』と一応カッコつけたが、日本の突貫に比べれば突貫でもなんでもないノロノロ工事ということになると思うが…工事がすっかり終わった出来上がりの新ローザンヌを見てみたいものだ。

トッカン、トッカンと今朝も地底を鳴り響かせて、掘削機が時を刻んでいる…

置き去り家族〜万引家族

我がスイスはローザンヌに、カンヌ映画祭で授賞した例の映画『万引き家族』がきた。

ネット評判は凄いし、地元友人もベタ褒めでするので、行って見た。

まぁ、ニコルが居眠るのはいいとして、ボクも日本映画の独特のノロイリズムにウトウトしてしまった・・・。だから多分かんじんな所を見逃しているので、ボクには多分この映画について語る資格はないだろう〜か?

ただ、ボクが引っかかったのは、この家族の万引き…で、大黒柱の二人が働いているのだからリスクの高い『万引き』の必要があったのであろうか・・・ということであった。あのぐうたら親父が、息子(もどき)が施設にバスで向かう時、走って追っかけるシーンに、え〜っそこまで絆が深かったのか〜っ、と思ってしまった。

この映画のポイントは血縁家族から何らかの理由ではみ出てしまった人間達が、血縁でない者達どうしが寄り添って家族を形成する様・・・ってなところかな。

そこで、ボクはつくづく自分の生い立ちについて考えることになった。

ボクの本来の家族はボクが産まれた時に母が患ったことが多分原因なのか、若かった父親が妻子を置き去りして蒸発してしまったところから始まったのである。

6歳年上の姉は孤児院へはいり、ボクはいろいろな人に預けられるが夜泣きがひどく、7軒目にしてようやくボクの育ての母となる菊池のトキさんと出会った。トキさんにはその時すでに、10歳と13歳の娘と息子がいたが、どうも血縁はなかったようだ。

ボクが面倒みてもらっている間にも短期間であったが、3〜4人の幼い女の子達を入れ替わり預かって面倒を見ていたから、なんだか妹みたいな気持ちになった頃に親に引き取られて行ってしまう…というようなことが何度かあった。

で、ボクが小学校に入学すると実の親のところから学校に行くようになり、実の母と育ての母の間を行ったり来たりした時期が高校まで続いた…。

そういうような体験があったから、ボクは血縁、無血縁にまったくこだわらない生き方を学んだのだと思う。

だからこの映画の表現する家族は『万引き家族』なのではなく、人情によって引き合う世間の『万有引力』による『万引家族』であったのではないかと思うのだ。

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先日行ったGstaad(クスタード)での例のコンテンポラリー・ギャラリーの作品は

『置き去り』を、右の写真はギャラリーを出た時、通りを走っていた『寄り添う』を…