拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

包丁は跨げない

先日、ローザンヌの超一流ホテルで寿司職人として働いている二人の板前さんと話をする機会をえた。

彼らは日本で長年、板前修業してからスイスに来た三十代も後半の歳頃の男達で、根っから職人といった風貌に少し方言の混ざった話ぶりは、ボクにふる里の懐かしさを覚えさせる気がして、彼等との世間話にボクは夢中になった。

普段、冗談なんて出ないボクの口からバンバン、オヤジギャグが飛び出して自分でも驚いたが、こんな風にボクの口が軽くなったのも彼等の飾らない、どちらかというと不器用なぐらい素朴な人柄がそうさせたのだろうと思った。

彼等との話の中に、『スイスの寿司事情…』の話が当然出たが、その中でも印象に残った話に、『包丁とか道具を我々日本人は物凄く大事にして、包丁とか跨いだりしたら、先輩からどやされたりするもんだが、そういった感覚がこっちの職人にはわかってもらいない…』と嘆いたことだ。

道具…しいては、自分の職に『畏怖の念』を抱く、抱かせる…そういった風潮がいまだに日本の職人に『在る』…ということが、どんなに大切なことであるか。

しかし、道具を大事にするあまり、人権を軽くみる風潮が日本の働く現場で『ブラック』となって弱者を虐げるという一面を見逃してきたことも確かにあると思うが。

本来『愛の鞭』であったのが、『愛』がないがしろにされて『鞭』だけになってしまっう、偽物の『職人魂』が横行している場合も多々あるだろう…。

人とか物とか、別け隔てのない『愛』が根底にある行為が『職人技』であるはずであり、日本人が世界に誇りを持って伝達する職人気質なのだと改めて思う。

まだ、フランス語も自由に操れない彼等は今後、それをどうやって伝達するのであろうか…。

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ローザンヌ旧市街祭り…でのパフォーマンスの一つ。若い女性5人の演技。

一歩間違えば、大怪我するであろう演技…ここにも、厳しい修行があるはず。

西洋の能…

今週からローザンヌでは『旧市街祭り』が始まった。

毎年行なわれるこの初夏の祭りは、ボクにとってほんのちょっと日本の『お盆』の時期夜に屋台が並ぶ人混みをぶらつく…そんな気分にさせてくれる催し物。

一週間、毎晩旧市街のいくつかのステージで音楽、芝居、ダンスが行なわれる。

一昨日、ボクはプログラムで見出した、『私の唯一の欲望』という意味深なタイトル…それに、中世の服をまとった若い女性と右端に3人の全裸の女性!の写真に眼が取られて…こりゃ~意味深!!!と感心して夜23時からの公演に一人ででかけた。

相方ニコルは仕事で疲れて行かない、と言いながらボクの不純な動機を怪しみながらも送り出してくれた。

ボクはいま、昔撮った中世祭りの写真をまとめている。

それには、ネットでみたTVシリーズ『バイキング』や『ローマ』を見終えて、少し西洋に対する理解が深まったような…気がしたことがあった。そんな時に、プログラムのこの写真を見て、なんかインスピレーションを受けた…『眼の保養…』の点も正直あつたが。

でもって、水曜の23時であるから、観客はボクのようなオッサンばかりであろう…と、行ってみると、あに図らんや老若男女でもって満席状態であった。そして、やはり写真撮影禁止…であったのだ。

撮影はアッサリ諦め、ステージじ集中する。

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ボッツチェリの春…そのまま、のシチュエーションで一応ジャンルは『ダンス』。

最初、素っ裸の4人の女性が客席からステージにあがり中世のタピストリーの壁に花を4人揃って、ゆっくりとした動作で花を植えるように飾ってゆく。まさにこの絵の3人のように…そのあと一角獣、猿、寅、兎の面をつけた途端、優雅に見えた4人の裸がコミカルな動きになった。しばらくして4人のうちの一人の女性が絵のような中世の服を着衣するあたりから、全裸の女性に関して違和感もなくなっているばかりでなく、かえって着衣した女性により色っぽさを感じている自分があった…。

スペースの使い方とか動きとか、面の使い方…そんな雰囲気を見ているうちに、なんだか日本の『能』や『狂言』を想起した。

といっても、日本で能や狂言を見たのは3回ぐらいなので、正直よく知らないのではあるが、ボッツチェリーの絵画と能が発展したのが15世紀であることは案外偶然ではないのかもしれない。寓意から隠れた真意を汲み取る形が西洋にも自覚されてきた。

第6回『ローザンヌの庭』

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今年で6回目を迎えるそうだ。『ローザンヌの庭』展…

1997年から始まった庭展は、以来4〜5年おきにローザンヌ市内のあちらこちらに工夫を凝らした庭が6月〜10月までローザンヌ市民や観光客の眼を楽しませる。

全部見る人は、おそらくそんなに多くはないであろう。

というのは市内の公園を中心に展示しているが、意外なところに意外なものが…というのがこの庭展のユニークで面白いところだと思う。だから本当に全部見ようと思う人は市が発行している地図をダウンロードするか、観光案内所でもらって地図を片手に現場を訪ねなければならない。

勤めていた2年前までは、そこまでして全部見る気は起こらなかったが、退職した今、全部見てみたい気がしている。

この上の写真であるが、最初に見かけた庭展であるのだが、これがその庭展であるとは知らずに見かけて『あらあら、楽し!』…とおもったら、その『ローザンヌ庭展』であったのだ。

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街を歩いていて次に出会ったのがこれ…ボクの庭のイメージからちょっと思いもしなかった路上の緑の不思議な『線』…これも『ローザンヌ庭展』であるということが後でわかった。  面白いね、イイね…

うだる暑さは…

あ、あ~…6月も今日一日。

晴天が一週間ぐらい続きローザンヌは30度を越える暑さで、ついに相方は自分の部屋に扇風機を買いに走った。

これまでは、寝室に暑いときだけ扇風機を設置してタイマーで寝るときの一時間設置したりして安らかな睡眠に入ることができたが、我々も老いたためか、天気の厳暑予報に我が相方は恐れおののき、ボクの同意もなしに安売りしていたという理由(1万3千円が5千9百円)で買ってきたのだ。

毎年、扇風機を使用するのは年に5日もあるか?ないか?の状態であるので、去年も相方がもう一つの扇風機を!と買いたがっていたが、必要なし!と否決したのに…。

まだ例の花粉症は終わっておらず、時折、くしゃみを連発したりするが、一錠の四分の一だけ摂取することで症状が出ないことがわかり、そう気にならなくなっている。

この火曜日に我が撫子チーム対オランダ戦があって熱く応援したが、あ〜ぁ無情…こんな負け方があるのか〜〜とういう残念な負け方で負けた。後半の撫子の反撃は半端なかったのに…、ゴール前でどうしても決めることができなかった。来年のオリンピックには同じ監督とメンバーだそうだが、次回が楽しみだ。

そうそう、7月4日に参院選の公示があって、21日に投票になる。

ボクは断然、新選組応援であるから、Facebook経由でYoutubeの『山本太郎ライブ』 で新選組公認候補予定者発表に熱中するのであった。

一人目は蓮池透(トオル)さん。二人目が女装家の東大教授、安冨歩さん。

そして三人目がなんと…


木村英子・全国公的介護保障要求者組合書記長を公認候補予定者として発表!山本太郎・代表「何よりもまず国会内がバリアフリーであるべき」~「れいわ新選組」候補予定者発表会見 2019.6.28

自らが身体障害者である、木村英子さんであった。

山本太郎は大変な策士であると以前から思っていたが、まさかここまでとは…!!!

これには誰もが驚いたに違いない!よくやった太郎!

太郎こそ本物の政治家だ。彼の気持ちが国民みんなに届けばいいのに…。

 

 

女どもよ、立ち上がれ!

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先週の金曜日、6月14日フランス語で『Grève des Femmes』…で、女性ストライキという意味のデモがスイス国内中で行われた。

スイスはヨーロッパ史上でも多分もっとも男尊女卑な扱いを女性は受け続けてきた国かもしれない。

スイス婦人参政権が許されたのはなんと1971年…で、男女平等が憲法で認められたのが1981年6月14日であったという。(最も保守的な州、アッペンツェルでは国からの圧力でようやっと1991年に婦人参政権を認めたそうだ。)

1991年6月14日、労働組合が主催して第一回『女性によるストライキ』があり、全国で50万人参加。この年の7月にボクはスイスに移住してきたからボクはこれを見ることができなかったが、あれから28年たった2019年6月14日ローザンヌでボクは女性の大群を目撃した。

新聞によるとローザンヌで4万人、ベルン5万人、ジュネーブ1.5万人、チューリッヒ7万人などなど、男女の賃金格差、パートタイム労働者への労働条件圧力、家事労働の負担、性的暴力など様々な点で1981年に認められた憲法での男女平等が実行されてないなどを訴えるデモとなった。

二人の母に育てられ、そのどちらも女性ばかりの環境で育った自分としては『女性の存在』は和風で言えば『観音様』、洋風だと『マリア様』ごときもので、彼女たちを虐げる一切に不動明王のごとき怒りを持つ自分は、じっとしていられず、彼女らの溌剌とした抗議を目撃すべくローザンヌは彼女らの集会拠点さんフランソワ広場へ向かった。

物凄い、女性の大群!!それも老いも若きも共になってある者はプラカード持ち、ある者は赤ん坊を抱き上げ、このストライキのロゴマークの如く拳を突き上げる者たち。

こういうときの写真撮影って…案外難しいとつくづく思った。人が多すぎて何をどう撮るか???。

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時折、男たちが散見され、自分たちは女性の味方です!アピールをしていたが、写真的にはなんか、邪魔で排除しようとするが…(ジジイのボクも男であるが、自分のことはさておいての図)

必撮無眼流 〜 焦点深度

昨日、10日間のSionでの写真展が終わった。

写真展の意義というのは、写真展をやった時に深まるものだ…と改めて思った。

結局断ったラジオインタビューの件にしても、写真展現場で受ける何気ない質問にも、その中にこれまで、思いもしなかった事を考える切っ掛けになったように思う。

それは写真と一緒で、まず直感に従って撮ることに専念する。そのあとなぜ撮ったかを考える必要があれば考える…で、ボクは特にこれといって考えたことがなかった。

何故なら、一枚の写真の中に全てがあるから…と確信しているから。

だから、質問がでると改めてゼロから考えては自分で感心するが、そんなに深いモノがあったのだろうか???と。

深いモノがなければ、撮らなかったのも事実ということを思えば、在るのだろう。

しかし、それを言葉にしたとき、各人の受け止め方にアクセントがついてしまうのが、

嫌なんだとも思う。

例えば、なぜスイス闘牛を撮ったのか?…という質問があったとき、なぜかと言われても正直困る質問なのだ。なにか言ったとしても脇がこそばくなるだけだ。何故なら真剣に考えたときその行動を導いた要素は無数にあるのだから。『そこに山があるからだ』…みたいな答えになってしまって相手を当惑させるだけなら、一層のこと

黙っていたほうが正解のような気がする…。そこまで考えたときインタビューに出なくてよかったなぁ〜と思う。

しかし、日常生活の中に常にこんんな問題があって、いちいち説明するのが面倒だから

適当に相手が納得する答えを口にすることが案外多い、ボクの場合。

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友達が子連れで来てくれた図

上の子は反抗期なのか、写真を拒否している図でもある。

遠路はるばるシオンまで写真展に来ていただいた皆様、ありがとうございました。

闘花粉章

花粉症になって6,7年目?

案外くるしいのか、毎年の如くこの季節になると、ブログに愚痴ってる。

以前、短歌で花粉症の苦しみを「五月サッキ」に絡めて「殺気」立つ思い…と詠んだことがあった。それが今年は六月にずれ込んでよく知らぬ土地、Sionで急に真夏なみの暑い日差しをほどよく柔らぐ葡萄の葉の屋根の下でいつ来るともわからぬ我が写真展鑑賞者を居眠りしては、ふと覚めて自分は一体どこにいるのか?一瞬の永遠の「間」に迷ったあとに…大 くしゃみ三回、で鼻がズルズル、目がどうしょうにもなくイズイズする不快感は筆舌に尽くしがたい…(この表現は一度使ってみたかった)のだ。

何より絶え間ない「睡魔」… に襲われるのが真面目一徹居士の自分には耐えられない苦痛で、せっかくの「間」の時間に読もうとする松岡正剛著「侘び・数奇・余白」という高尚な著書に挑戦するのだが、数行いくと瞼が焼けるように熱くなって、気が付くと瞼が閉じられているというていたらく。嗚呼花粉症よ。

そのせいでもあるまいに、日本から児童殺し、息子殺し等など悲しいニュースが届けられる。格差問題など様々な問題が山積みとなっている日本への思いもこの夏に選挙を控えるだけに日に日に重さを増している。


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