拈華微笑

我が琴線に触れる森羅万象を写・文で日記す

必撮無眼流 ~ 審美眼

スイス闘牛の本場、バレー州の州都Sionでの写真展も今日で4日目、友人などが遠くからはるばる来てくれて感謝感激。

地元の写真家も何人か来てくれ、色々話が弾んだが、意外だったのが闘牛をテーマにした写真展はこれまでほとんど無いとのこと。

ラジオや新聞社がボクに声をかけてくれた訳はそうゆうところにもあったのかも、しかも写真家が日本人であるということもポイントであったであろう。(ところでラジオのインタビューの方は熟考の末、お断りした。)

今回の写真展はこれまでの合同展ではなく何から何まで全部自分の采配で行ったという意味で新鮮な気がした。一人でやるにはちょっと大きすぎるスペース。だからA2サイズで33枚展示したが、それでも洞窟状の小部屋は使わなかった。表入り口に客引き用の写真を見ても地下にあるギャラリーには入ってこない人も結構多く、闘牛に興味が無いという事だろうか。昨日はハイキングに来た人たちがポツポツ見に来てくれた。実際の闘牛は見たことがない人たちがほとんどだが、ボクの写真は楽しんでもらえたようだ。

鑑賞芸術にもいろいろあるが、中で写真というのは案外思うほど一般的ではないのでは、と思えてきた。もちろんテーマにも依るが展示内容をその写真家レベルで理解する人は少ない気がするのだ。写真を鑑賞するにもある程度の訓練や慣れが必要なことは言うまでもない。写真は見れば誰でも解る…というものでないところが、写真の面白いところかも知れない。


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ところが昨日、閉展まじかに入ってきた地元の写真家の男…ボクとほぼ同世代。

熱心に見ている肩に声をかけると、彼の感想をいろいろ聞かせてくれ、その審美眼の深さに恐れ入って嬉しくなった。淀みない話し方は何故か全部聞き取れて不思議な気がした。昔、この地で禅会を催したそうだが、そういった共通点もあるいは関係あるのだろうか。

 

明日は昇天祭

金曜から2年ぶりの写真展をするのに、きょうはボクがゴッドファーザーをしている友人の息子18歳になるジョナスと青い目の禅坊主クロード坊の助手でギャラリーで写真の設置。

クロード坊はこういうことに疎くもう一つであったが、芸術学校に通うジョナスのなんと背が高く要領のいいことか…。

車も2年ぶりに、しかも乗用車レンタル…2年前までは15年間乗っていたとはいえ、トラックだったので、乗用車というのは慣れてなくてちょっと心配だった。車は左、人は右…っていうのを子供の時散々記憶していたので、久々に車をのると、アレ??スイスでは車は左だったかナア???と一瞬迷ったものの、数分もしないうちにヴァアア〜と蘇って、帰りのシオンからローザンヌの100Kmなどは完全に昔のトラック野郎となっていた。相棒のクロード坊は気持ちよさそうにうたた寝していた…その時ボクの携帯が鳴って、相方のニコルだろうと思って携帯を持つと、『何々ラジオの者ですが…こんどスイス闘牛の写真展を行う一撮さんですか?』と聞かれてビビったが、ハイ…と返事すると『明日12:06分に電話インタビューしたいんですが・・・一撮さんはフランス語は大丈夫でしょうか?』ムムム〜120Kmで飛ばしているときにこんな質問急にされて、ボクはすぐ携帯を相棒のクロード坊に渡して詳細を聞いてもらう…

なんでも明日の昼に7分ほど写真展に関してラジオインタビューしたい…とのこと。

詳細を聞いていたクロード坊は浮かれてしまって、『一撮はフランス語も大丈夫ですから、是非インタビューしてやってください…』なんて無責任なことを言ってる。

『兎に角、明日朝連絡しますので、よろしく〜』ということであった。

うわ〜、シオンには知人も一人もいないし、宣伝もフェイスブックと、ニコルが地元のネットニュースに載せたぐらいで、写真展にはほとんど人が来ない…ということも覚悟していただけに、もし、ラジオなんかでとりあげてくれたら・・・

その話の5分後、また携帯が鳴ったので、こんどはすぐクロード坊に渡して聞いてもらう…『写真展の件ですか、ハイそうです…土曜の朝新聞に記事を載せてくれるんですか?』なんて話している。エエッ、こんどは新聞??地元バレー州の新聞らしい。

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   この春に訪ねた イタリアの教会で撮った十字架

必撮無眼流 〜 写真展『L'homme et la bête 』スイス闘牛

今週の金曜日5月31日よりスイスのバレー州、州都シオン(Sion)で10日間の写真展を行う。

べく、準備などなどで忙しいというより気ぜわしくして…(という言い訳)によってブログ更新を御無沙汰していた。

写真は2004年〜2010年にかけて撮りためたスイス闘牛写真。

日本の宇和島などで行われている牛と牛の闘いと同じ、ただ牛たちがスイスでは雌牛である。フランス語では Combat de reines で、『女王の闘い』となる。

2003年に引っ越し屋に社員として定職をもち、生まれて初めてのバカンスというものをもらい、そういう時間を利用してスイス闘牛を撮り始めた事情がよくわかる。

撮りはじめの2004年頃は、観に来る人は地元の人ばかりで規模も小さく、数人のアマチュア写真家達が柵に近づいて写真を撮っても自分達の安全さえきちんと確保していれば誰も文句を言わない状況であったが、その後徐々に人気が出てきて最近では毎年テレビ中継が入るようになり、観客も昔の比ではないほど、したがって写真撮影も自由に最前線で撮ることができなくなっている。

いずれにしても、ボクの興味は牛達の勝負よりは地元の人々の人間模様…そういった観点からどこに行っても変わらない人間と動物、人間と人間の関わり具合をボクは楽しく拝見したものを展示しることにした。

スイスの闘牛…といっても闘牛を行っている地域は限られていてスイスのバレー州に限られているようだ。そのバレー州の8ヶ所を取材に行っている。

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 この省略図では省略しすぎてスイスを知らない人にはわからないかもローヌ川

今回写真展を行うにあたって撮影地を地図に表したが、案外あちこち行っていたので驚いた。

地元の人々が楽しみで催している闘牛が、その存在すら知らずにいた人々に広がって酪農家の人々の生活の一端を知ってもらえる喜びというものがあるのだろうか。

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花粉症お見舞い

先日の一泊二日のイタリアはパビア旅行中、二日目の郊外にある修道院を訪ねたあたりから、なんだかよくクシャミがで洟水がで、それで鼻をかんだら必ずクシャミが二回でることで・・・あゝ、花粉症…っと思った。

花粉症はボクにとって『5月病』ということになっているので、若干早くそれがきてしまったか。

それで、ローザンヌに帰ってから薬を買って飲んだら効果てきめんで、怖いぐらい。

一応、漢方を勉強した者としては、症状がでるにはそれなりの理由があり、それを一方的に抑える…というのは良くない、という考えも加味して一錠の半分を摂取することにした。だいたい外人の体はでかいのだし。

花粉で集中力が阻害されるほどの症状をだし、薬でそれをストップする薬物成分が身の回りにあるということは、考えてみると案外怖ろしいことだと思う。

人の心の持ちようを、精神のスピリットレベルだけで抑制できないものであるということが可能であれば、精神の安定した安楽を持ち続けることは並大抵のことではないのが当たり前なのかもしれない…と、4,5年前に花粉症になってから毎年この季節になるとこの同じテーマに思いが及ぶのだ。ほんのちょっとのケミカル(ホルモン分泌)加減で心が左右される人間の儚さ脆さも、十分自覚することも対策としてはアリエルのだろう。

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4,5年前に花粉症になった時撮った写真で、その時も花粉症を短歌で詠んでみたが、同じ写真でほんのちょっと心変を加えた短歌にしてみた図(五月生まれの自分がその五月の花粉なんぞのために、意識を朦朧と過ごしてたまるか!の意気込みを示したもの)

 

あっぱれ無名写真家…ビビアン・メイヤー


Vivian Maier´s photographs (1926 - 2009)

素敵な音楽とともに彼女の写真をみることができる、特に9分54秒から彼女のセルフポートレートが展開されるので必見!!!何も求めない彼女の眼差しがかえって何かを強く訴えている…ようで魅せられる。

 

今、スイスというかヨーロッパでは復活祭の連休があって学校が春休み中。

小児科医院に勤めるニコルも2週間のバカンスで、この水、木曜日と一泊二日でイタリアはロンバルディア州の小さな都市パビアという人口7万3000人の街(ミラノから南へ30Km)へ行ってきた。

去年の今頃もトリノへ行って雨に降られたが、今年も降られた…。

Pavia…なぜニコルがこの街を選んだのか?わからないが、近場で行ったことのない街という理由か。

イタリアといえば教会だ。小さな街でもビックリするような教会があちこちにある。

今回特に印象的であったのは、パビアから電車で隣駅にある1396年創建のカルトジオ会派修道院!駅から徒歩で修道院の周りを取り囲む高さ3mほどの壁の周りを遠回りに歩いて入り口にたどり着いたが、まるで刑務所を想像。

珍しく写真は一切禁止。肌の露出した服装厳禁。他のイタリア団体旅行客と混じって聖職者によるイタリア語の教会内に響く解説はまるで賛美歌を聞いているよう…であった。中庭を取り巻く回廊の柱ごとに立派な彫刻が施され、当時珍しい修道士らの個室が18個隣接して、食事も個室で摂り、無駄話は一切禁止され作務と祈りの禁欲的修道生活の日常を死ぬまで過ごした…という。だから、ボクが最初に思った刑務所という印象もまんざら当たらないこともない。

しかし、今回の旅のメインイベントはこれまた偶然であったが、ビビアン・メイヤーという女性の写真展であった。

パビア街の中心にあるヴィスコンティ城の地上階が展示会場になっていてここで彼女の写真展が行われていた。彼女の名前を聞いても知らないはず。彼女が生きている間、彼女の写真は世にしられることがなかったのだ。

シカゴの写真コレクター、ジョン・マルーフがマイヤーの写真をオークションで手に入れ、2008年にインターネットにアップロード、2009年にブログで紹介することで徐々に関心が広まり、後に彼女の生涯を描いたドキュメンタリー映画や書籍が刊行されるようになった…という。

彼女はベビーシッター、介護人として働くからわら、生涯を通して写真を取り続けた。生涯独身で、自分の事は一切人に語らなかったそうだ。これだけ素晴らしい写真を撮っていながら全く発表しようとはしなかった…というのが不思議を透して神秘だ。

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写真の神様 H・C・B 夫妻と一撮

名もなき写真家、必撮無眼流開祖・一撮にとって秘蔵と呼べる唯一の写真を初公開すべきタイミングが来たようだ。

いつの日か…とは思っていたが、ブログという形で公開する日が来るとは…

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時は1978年、一撮26歳の時、まだ芦屋芸術学院に写真科助手として勤めていたか、或いはやめてフリーのときであったか?その点よく覚えていないが、PPS通信社という世界的に有名な写真家の写真版権を取り扱う会社の大阪支社でアルバイトしていたときに

PPS通信社主催の『アンリ・カルティエ=ブレッソン写真展』が行われ、そのオープニングに気前のいい社長さん(写真左端)が招いてくれた時に撮った写真。

カルティエ=ブレッソン夫妻のちょうど間に黒子になりきって微笑む一撮であった。

当時は英語すらできなかったし、かりに出来ても写真の神様に声を掛ける勇気は持ち合わせていなかった。写真を始めたばかりの頃、カルティエ=ブレッソンと、ロバート・フランクがボクにとって偉大な写真家であったから、カルティエ=ブレッソンのそばに寄れたというだけでうれしかったのだ。しかし、彼の作風には影響を受けたと思うが、真似をしようとは全く思わなかった。ブレッソンといえば、カメラは高価なライカであったが、ボクは当時安く、小型のペンタックスSPが気に入っていた。

『決定的瞬間』はブレッソンの写真を語る時、必ず出る言葉であって、風景の中で動く人物の切り取りは抜群であったが、ボクが最も彼を高く評価するのは静止するポートレイトにおける人の心の表出だった。あくまで自然光を利用した内面の表出の美しさ、強さに本当に写真のあり方というものを学んだと思う。

んで、なんでこのタイミングでこの『秘蔵写真』を公開する気になったかというと

最近、週一で5回のフランス語を学ぶコースをとったが、その最後の日に先生が最近のローザンヌでのTVニュースのビデオを見せてくれ、それが今現在、地元で行われているエリゼ写真美術館での『Martine Franc』展の案内であった。写真は1960〜90年代のモノクロ写真で大変いきいきした素晴らしい写真であった。この聞き慣れない写真家『マルティン・フランク』は誰なのだろう???と先生の解説も熱心に聞いているとボクは『エエッ!!』と激しく驚いたのだ。というのは、このMartine Franc こそアンリ・カルティエ=ブレッソンの奥様だというのだ。自分ではこの年代の写真家で知らない写真家は一人もいない!と勝手に自信を持っていたので、この写真家の存在を全く知らなかった事と、彼女が尊敬するブレッソンの奥様であったことも知らなかった事、さらにもう一つ、いま現在の我がエリゼ写真美術館の館長がこのマルティン・フランク女史の姪

Tatyana Franck(35歳)で2015年より館長になっている…ことなど知らなかった!のだ。

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Martine とブレッソンは彼女が32歳、彼が62歳のときの結婚で、すでにブレッソンは世界的名声を得て写真の巨匠と言われているときに彼女は結婚したわけで、写真家としてもブレッソンに大きな影響をうけていることは、写真展を見ればわかった。

ただ、出逢っていなければ或いはもっと彼女の個性を活かした作品が撮れたのではないかと…写真展をみながら思ったことも事実だ。いずれにせよ、偉大な写真家との生活は彼女自身の写真家としての活動に快い事ばかりではなかったであろう。

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   彼女の写真展が京都に来ていたんだ!

アイデンティティ

ブラックホールが視覚化、そして昨日パリのノートルダム大聖堂の延焼・・・

人間の営みには意識、無意識、自己の心の落ち着き先を探し求める行為というのが主体にある…というのが最近の一撮の思いで、それから外れれば外れるほど幸福から外れるのではないかと思っている。

唐突なことを言うようだが、そういうことが話題にならない世こそ問題なのだ。

最近は昔ほど『アイデンティティ』という言葉が使われていない気がする。

時代(或いは支配者)がそういった疑問を持つことを許さない…のだろうか。

しかし、人間である限りその『疑』から心をそらすことは不可能で、肯定するにせよ否定するにせよ様々な形で各人の人生を描き出すものであると思う。

ボクはこれまで、宗教ということを真剣に考えたことがなかったが、

釈迦の『悟り』は『里裡(さとり』であって、誰もが生まれた里への回帰なのではないかと考え至ったとき、宗教というものの役割が『人間にとっての』アイデンティティへのいざないなのではないかと思うようになった。

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  どのくらい以前か忘れたが、昔ブログにアップした写真と短歌(一撮幼少時)